言葉が足りないばかりに 相手に自分を伝えられず
♪『春のからっ風』〈作詞作曲:泉谷しげる〉
春だというのに 北風にあおられ
街の声に せきたてられ
彼らに合わないから 追いまくられ
さすらう気は さらさらないのに
誰が呼ぶ声に こたえるものか
望む気持ちと うらはら
今はただ すきま風を手で押さえ
今日の生き恥をかく
何でもやります ぜいたくは言いません
頭を下げ わびを入れ
すがる気持ちで 仕事をもらい
今度こそ まじめにやるんだ
〈サビ繰り返し部分を略〉
言葉が 足りないばかりに
相手に自分を 伝えられず
分かってくれない まわりをうらみ
自分は正しいと 逃げ出す
誰が呼ぶ声に こたえるものか
望む気持ちと うらはら
今はただ すきま風を手で押さえ
今日の 生き恥をかく
〈以上、歌詞〉
春だというのに…。寒い冬を抜け出して
温かい日差しに包まれているはずなのに。
このやるせなさ。このフィーリング。
その気持ちを分かち合わず
口にせず、
同じ思いをそれぞれ胸にいだいて
私達は今、
それを心密かに噛みしめています。
1973年に発表されたこの楽曲を
かつて福山雅治が熱唱しました。
フォークロックの鬼才、泉谷しげるの歌ではなく、
この記事であえて福山雅治としたのは、
この楽曲のリアリティーに
焦点を当てたかったからです。
泉谷しげるではリアリティーが出ない、
と言いたいのではなく、
知的なシティーボーイそのもの
といったイメージを持つ福山雅治が
この楽曲をセレクトして歌ったという点に
福山自身の存在感を、より一層の現実味を
この楽曲と共に
感じとることが出来ると言いたいのです。
軽妙でスマート、カッコイイひと。
そつのない人。悩みなど大してなさそうな
やり手の人。勝ち組の成功者。
いつも涼しい顔をして、ユーモアを飛ばしながら
ひょうひょうとコトに当たる…。
そんな風に見える人を羨ましいと思う。
それに比べ自分は…と唇を噛む。
この歌を福山が歌う時、
不思議な感覚にとらわれた人がいるはずです。
もしかしたらあのひと…
そう見えるだけなのかな。
もしかしたら私と同じなのかな。
特別な選ばれしプリンスじゃないのかな、って。
そう思われては困る、と福山雅治が思ったら
彼がこの歌をステージで歌うことは
なかったでしょう。
まだ、今ほどの圧倒的人気を誇っていた時分
ではないから歌えたのだ、
そう思う人がいるかもしれません。
でも、それが昔の話であろうとなかろうと
私は彼がその歌を歌っているのを
既に聴いてしまいましたよ。
不遇の下積みから成功のスポットライトへ。
過去のしみったれた思い出なんか捨てちゃえ。
そう思う成功者は滅多にいません。
だって、その時のことを思い出す度に
自分のことが誇らしく思えるから。
諦めなかったって思える証明だから。
その時のことを忘れずにいれば、
もう一度、そうなっても、きっと
自分はひるまないだろう。
そう確信するから。
♪誰が呼ぶ声に 応えるものか♪
誰が呼んでいるのでしょう。
からっ風が?。悪い仲間達の誘い?。
とにもかくにも、その呼び声に応えたら
望む気持ちとは全く違う方向へ
吹き飛ばされてしまうことを、
主人公は経験で分かっているようです。
サザンオールスターズの桑田佳祐は
かつてこの楽曲を刑務所の囚人達の前で
歌ったことがあるそうです。
色々な男性歌手に支持される
こんな楽曲を創る泉谷しげるという男は
コワオモテの演出とは別人で
自宅を訪ねると、奥さんと一緒になって
ありとあらゆるもてなしの気持ちを
表すのだそう。
それにしても、私もあなたも、春ですね。
とにもかくにも、春。
今、窓の外では
人のミテクレなんかを
はぎ取ってゆく空っ風が
舌を出して笑いながら
吹きすさんでいます。