昭和歌謡曲の万華(まんが)

中沢京子『待ちわびて』

いとしいあなたの面影

自分の全てを賭け愛した人。かげがえのない、

唯一無二のその人を失った女のひとがいます。

周りの人達が、彼女の再起不能を

予感してしまうような壮絶な悲しみ…。

“失恋”という言葉とは程遠い絶望感。

その彼女の心の風景を、何の接点も持たない第三者が

はっきりと捉え、

彼女の悲しみの証言者にさえなれてしまうこと。

彼女の苦しみを我が身のものとして、

共に泣こうとすること。

そんな不可能な魔法を

人間は総力を結集して創り出しました。

それが歌です。

メロディーに人の言葉を乗せて

人の耳からそれを心のドアまで運びます。

あるメロディーは拒絶され、

あるメロディーは招き入れられます。

それでも、幾度かの視聴のあと、

歌詞の言葉がメロディーを裏切っていれば

誰かの心は、ある時、

その楽曲を突然、追い出してしまうかもしれません。

待ちわびて〈中沢京子作詞作曲 歌 / 萩田光雄編曲〉

壊れた 心の扉が カタカタ 泣いているのに

夢のかけらが 悲し気な るり色に 溶けるのに

ただ 目を閉じて 私は 白い時の中

あれから 私は 涙の海に 突き落とされて

波に さらわれた あなたの心

帰ってくるはず ないのに

待ちわびて

いとしいあなたの 面影が ゆらゆら 燃えているのに

大きな その胸の ぬくもりも

この闇に 消えたのに

ただ 震えながら 私は 白い時の中

あれから 私は 溜息の森に 迷い込んで

風に さらわれた あなたの やさしさ

帰ってくるはず ないのに

待ちわびて

〈以上、歌詞〉

大切な人を失ってしまった人の気持ち。

第三者に分かるはずがありません。

でも私達は大人。

気持ちが分からなくても、察することは出来る。

失ったことがあるから。

時として人は、雑踏で

束の間に見失った改札口の様に、

歌謡曲の歌のパートだけに気を囚われてしまって

編曲を、聞き流してしまうことがあります。

歌は顔立ち。歌詞は顔の表情。

そして編曲は、その人のメイクや装飾品。

だったら、特に女性は

編曲はいりません、なんて絶対言わないでしょう?。

楽曲『待ちわびて』を聴くと、

伴奏アレンジが曲の翼だということが良く分かります。

航空機で言えば、

詞と曲が、乗客 ( 歌い手 ) の居る本体の部分、

演奏が翼の部分だと思います。

つまり、優れた翼なくして飛行機は上手に飛べないし、

両翼があっても、双方が見事にバランスしなければ

機体は著しく不安定になって

失速の恐れさえあるのです。

両翼を見事にバランスさせるのが個々の楽器。

各々のパートが見事に調和して

一つの明確なイメージを作り出すことで、

リスナーにインパクトある感情を伝えられます。

例えば、シンセサイザーの悲しい音色が

無常に時を刻むドラムに引き継がれ、

舞い上がる演奏の翼を身にまとって

歌い手がそれに言葉を乗せる。

歌い手の声の微妙な変化は、

夜空にまたたく星のよう、

聞き手に対して繊細で微妙な

ニュアンスを伝えてくれることでしょう。

深夜、独り聴くラジオ。

番組の主題歌として用いられたこの楽曲は

多くの若者達を泣かせ、彼ら彼女達の圧倒的な支持は

ラジオの中に封印され、伝説となって

時の流れに埋没しました。

つまり、TVなどの主要な媒体で紹介されることは

ほとんどなかったから。でも、

そんな必要はなかったのかもしれません。

ひとりひとりがこの曲を胸の中に大切に抱き( いだき )、

やがて大人の扉を開けて行ったのだから。

大切に、自分と一緒に。

これはそんな歌。

あなたに聴いてもらえたらいいなと思います。

そして誰かに引き継いでくれればって思います。

あなたは?。