昭和歌謡曲の万華(まんが)

ふるさとへの花言葉 ~ 千昌夫と五木ひろし、中島みゆき

あなたこそが、ふるさとそのもの

歌謡曲の作詞を眺めていると楽しくなります。

作詞家の心密かなる、

「気付いてお願い!」

に気づいて笑みを浮かべることがあります。

そんなことが時々あるのです。今回の“そんなこと”は

花言葉。

例えば、アジアで絶大な人気を誇る千昌夫が

歌うところの  ♪ 『北国の春』。

♪ 白樺 青空 南風 ~

と始まる有名な出だしは、

こぶし咲く…、

と続く。

こぶしの花言葉は、“ 友情 ”、“ 愛らしさ ”。

この歌の歌詞には

♪あにきもおやじ似で無口な二人が

たまには酒でも飲んでるだろか♪

とあります。こぶしの花言葉、“友情”は

この親子を指しているのでしょうか。

同じく故郷への望郷の念を歌った五木ひろしの

♪ 『ふるさと』では

野イチゴという言葉が出てくる。

野苺の花言葉は “ 幸福な家庭 ”。

杏の花(あんずの花)という言葉も。

花言葉は “ 恥じらう乙女 ”、“ 早熟な恋 ”。

歌詞の中には

♪お嫁にゆかずにあなたのことを

待っていますとやさしい便り♪

とあります。彼女こそが

野苺であり杏の花なのでしょうね。

双方共に、故郷への思いを切々と歌い上げてます。

二つの楽曲の花言葉を並べると、友情、幸福な家庭、早熟な恋…。

どちらの歌詞も、花言葉通りの歌詞内容で綴られてます。

言葉を大切にするって、こういうことなんですね…。

などと独りしみじみと噛みしめておりましたら

中島みゆきオネエサマの♪『アザミ嬢のララバイ』が

一番深い真夜中のインディゴ

〈絵の具の色。心の闇を表す絵の具と呼ばれる〉

のしじま(静寂)から聴こえてまいりました。

アザミ嬢のララバイ〈作詞作曲 歌 / 中島みゆき〉

ララバイ一人で 眠れない夜は

ララバイあたしを 訪ねておいで

ララバイ一人で 泣いてちゃ惨め(みじめ)よ

ララバイ今夜は どこからかけてるの

春は菜の花 秋には桔梗(ききょう)

そうして私は いつも夜咲く あざみ

菜の花、ききょう、そしてアザミ。

この楽曲の作詞者もまた

花言葉で人と人の心の結び付きを表現しています。

歌詞の中には、♪何も考えちゃいけない、

♪心に覆い(おおい)をかけて、

♪おやすみ 涙を拭いて、

♪何もかも忘れて、

といった情の細やかな

アザミという人の優しさと思いやりが

記されています。

夜に咲くあざみ。夜の静寂の中、

信頼している相手にだけ開く心の花。

これほど親しい仲なら、イマドキは尋ねるまでもなく

スマホの位置情報で相手の所在を

リアルタイムで把握、です。

アナログと呼ばれる時代、知る術(すべ)といえば

相手に直接訪ねること。

相手が嘘をついたら?。

それなら相手には何か隠し事がある、か

こちらを信用していない、か

こちらを軽く見ている…。

相手に尋ねるだけでこれだけの情報が得られ、

あれやこれや推測しコチラは溜息がつけるわけです。

堂々巡りの悩ましい時間が続くのですね。

「どこからかけてるの?」

相手がまだ自宅なら、今夜はこちらに

出向いて来たくはない?。

近所の公衆電話からなら、あとこれくらいで

こちらに着くはずだ、と容易に推測も出来る。

相手に何かを尋ねる度に

色々な情報が返って来る。

こんな状況を歌で聴くたび、

“コミュニケーションは大切”という標語が

にわかに説得力を持ち始めたりして。

夜に咲くあざみが私。

太陽の光の下では姿を潜めるの?。

そんな彼女の元を訪ねてくる人にとって

それが男性であれ女性であれ、

アザミ嬢は心のよりどころ、

嵐の海で探し続ける灯台の灯り、

夜空に打ち上げられた照明弾の発見者。

そんな人のことを、

“ふるさと”と呼んでもかまいませんか。

あざみの花言葉は独立報復

菜の花の花言葉は快活明るい

桔梗の花言葉は永遠の愛誠実従順

つまり、春には菜の花のように

快活で明るかった人が、

様々な苦悩をあざみ嬢に相談してゆくうち、

秋風が吹く頃にはアザミの人に

誠実な永遠の愛を誓う従順さを示すに至った。

という人間関係の構築が

花言葉から読み解けます。これこそが

作詞者の意図。PCの隠れフォルダのように、

紐解くには厳格な手順がありますよ、

人の心というものは

ズカズカ無遠慮に入り込むものではなく、

相手の心のツボミが自然に開くまで

誠実さを持って待ちなさい、

とでもいざなって(誘って)いるかのようです。

言葉に決して出せない事情、思い。いつしか

人は花にメッセージを添えて人に花を捧げ

伝えられない伝言を託すようになりました。

自らをアザミと名乗るその人は、

きっと修正し続ける処世術の果てに

独立心の強い女性になるに至ったのかもしれません。

決して引き下がらない不屈の女性です。

そしてそのことは、やっぱり

ふるさとを指している様に思えてなりません。

誰にでもふるさとがある。

幼い頃、父の仕事の関係で

私は十数回の転校を余儀なくされました。

やっと友達が出来たかと思えば引き離される。

その繰り返し。いつしか私は幼心に

唱歌の♪『ふるさと』を嫌うようになりました。

自分にはふるさとがない

そう思ったからです。

大人になった今、はっきりと分かる事は

大切な何か、傷ついた自分を慰め癒し(いやし)、

明日へ送り出してくれる何か、

それこそが、ふるさと呼ぶにふさわしい

何かなのだと。

ああ、それならボクにも分かる、と思えました。

出来ればあの頃の自分に

それを教えてあげたいのですが、

それを理解出来るようになるのは

“今になって”ということなんですね、結局は。

郷里はなくとも懐かしい友人達の顔は忘れません。

彼らもまた私のふるさとの一つなっていたのです。

いつのまにか。気づかないうちに。

彼らに私が送りたい花はツユクサ。花言葉は

“なつかしき関係”です。