昭和歌謡曲の万華(まんが)

『春おぼろ』『春ららら』岩崎宏美と石野真子

春おぼろ〈歌:岩崎宏美 作詞:山上路夫 作曲:筒美京平〉

★イラスト的タッチのマンガにしてみました

桜の花は もう六分咲き  

見上げることなく あなたは急ぐ

ごめんなさいね あなたの気持ち

泣きたいほどに わかるのよ

居住まい正して 私を下さいと

あなたの言葉に 父は冷たく

「まだ早い」「若すぎる」

たったそれだけ

怒っているでしょ 許して下さい

駅の灯りがうるんでる 春おぼろ

私の気持ちに 変わりはないの

許されないなら あの家出るわ

今夜のことで あなたの愛が

こわれることが 心配よ

電車に乗る前 私を見つめてよ

何にも言わない そんなやさしさ

悲しいわ つれないわ 何か話して

怒っているでしょ ぶってもいいのよ 

人はみな楽しそう 春おぼろ

〈以上、歌詞抜粋〉

春ラ!ラ!ラ!〈歌:石野真子 作詞:伊藤アキラ 作曲:森田公一〉

春という字は 三人の日と書きます

あなたと私と そして誰の日?

いつか会いたい人がいる

二度と会えない人もいる

春の香りのせいかしら

あなたが嫌いなわけじゃない

三人そろって春の日に

三人そろって春ラ!ラ!ラ!

時が流れてゆく前に

三人そろって春ラ!ラ!ラ!

〈以上、歌詞を部分抜粋〉

『春ラ!ラ!ラ!』は1980年発表、

『春おぼろ』は1979年の発表です。

1980年代、国内動向では大家族から

単身世帯へ増加傾向、とウキペディア。

大都市での工場立地が増えたために

大都市へ人口が流入、家族構成に変化。

とあります。卒業後は大都市で就職、

その結果、核家族化が進んだのだと。

そんな時代背景を考えると、

『春おぼろ』の歌詞中のキーワードは

“あの家出るわ”

こんないきさつだったから、にせよ

彼女がその言葉をきっぱり口にする

ことが出来たのは、やはり時代感覚?。

同じく『春ラ!ラ!ラ!』のキーワードは

“三人そろって”

ではないでしょうか。

1980年代は核家族化が進み

家族の人員構成が低下傾向でした。

だから三人という人数にも意味があるのかも。

生活水準は上がったけど雇用は不安定、

そんな1980年代を象徴するような

トライアングル(三角形)を作る三人構成

はまさしく安定した関係。心の安定は

何かしら楽しい事が始まりそうな予感、

そんな春の日差しを全身で浴びましょう、

そういう心持ちにさせてくれますもんね。

『春おぼろ』の歌詞のキモは彼女の父親。

父権の圧倒的な存在感でしょう。

彼がダメだといったらダメ!。

家族が分裂してゆく危機感、

核家族化への不安、そんな社会の空気が

この父親の不安をいっそう倍加させ

2人を絶望させてしまうような

一刀両断の宣告になったのかも。

同じ春というテーマですが

この二曲は本当に対照的です。

明るい日差しの春と

駅の灯りにかすむ、おぼろげな夜空。

似ても似つかない両者の情景ですが、

『春ラララ』の歌詞を見ると、

♪ いつか会いたい 人がいる

二度と会えない 人もいる ♪

とあります。面白いことに

『春おぼろ』で駆け落ちした二人が

のちに彼女の父親への気持ちを指して

語っているかのようです。

春には数え切れないほどの別れがあります。

別れる時の、人それぞれの表情は千差万別。

それこそ感情の玉手箱をひっくり返したよう。

発する言葉が涙で砕け散る、笑いではじけ飛ぶ。

『春おぼろ』の “おぼろ” とは

物の姿がはっきりしない様子、という意味だそう。

父親に拒絶された二人の結婚。

二人はどう対処するのでしょう。別れ際、

彼女は彼の気持ちを推し量れず不安になります。

彼の愛を見失いそうになりました。

彼女の心はこの時、おぼろだったのですね。

月に龍と書いて、おぼろ。確かに、古くから

月は人の心を惑わせ、龍の存在もはっきりしない。

物が良く見えない状態を、

“かすみがかかる”

といいますよね。霞が関のカスミ(霞)、

春霞(はるかすみ)は、春の昼間を、

春おぼろは、春の夜間を指すのだそうです。

『春ラ!ラ!ラ!』の歌詞では、

会えるのか会えないのか、

その人が嫌いなのかどうか、主人公は

明確なアンサーを持っているようです。

つまり、主人公の心には

カスミがかかってはいない。

春がすみの状態ではない。

一点のカスミ、いや、曇りもない。

だから、春ラ!ラ!ラ!。

春の陽光を満喫できるという訳です。

さて、あなたは?。