昭和歌謡曲の万華(まんが)

斉藤由貴『卒業』プライヴェートな卒業

いつまでも続くと思っていた…

いつまでも続くような気がしていた学校生活。

それを卒業する、という現実の証拠、区切り、

それが卒業という名の儀式。

卒業式を繰り返したのち、ワタクシ達は

成人式や入社式、結婚式や金婚式や銀婚式、

そしてお葬式などのセレモニーを体験します。

企画せず、催さず、参加せず、など

人それぞれではあるにせよ、です。

感受性の強い年頃の真っただ中に経験する卒業式。

それは心の中で響き続ける潮騒。

その寄せては返す波の大きさや激しさの度合いが

人によって違うのはなぜ?。

心の器(ウツワ)が、許容量が違うから。

どうしてサイズが違う?。いつから差が出た?。

詰め込む想い出が増えるごとにウツワも大きく。

でも、ふいに、ある日とつぜんに、

こんな思い出は要らない!と叫び、

幾つかを心から捨ててしまうことだってある。

それを繰り返してゆくうちに、学生達は

心の中の思い出を、楽しい、苦しい、つらい、

か弱い、強い、悲しい、嬉しい、思い出を、

全部ひっくるめて、結論立てようとする。

新しい学期が始まる前の春休みや夏休みに。

だけど、何をどう表現すればいいものか、

どうひとくくりにまとめ上げればよいものやら

てんで分からない。もどかしくて、じれったい。

カンシャクを起して作業を放り出したアイツ。

面倒臭いから、また今度にしようと

先送りにしたオレ。

まとめてはみたものの、間違っている気がしてきて

丸ごとチャラにした彼女。

整理されぬまま放置された心の中の思い出は

自身の熱い感情を持て余して騒ぎ始める。

それでもやっぱり現状維持のまま。

何ら事態は動かず、さして進展もない。

そうこうしているうちに、いつのまにか、

ひとまず終わりのピリオドです。

卒業というセレモニーを迎えました。

『卒業』斉藤由貴〈歌:斉藤由貴 作詞:松本隆 作曲:筒美京平〉

制服の胸のボタンを下級生たちにねだられ

頭を掻きながら逃げる彼。

ほんとは嬉しいくせして…。

そんなふうに、考えるとはなしに

人の心を察するまでになっていた自分。

人気ない午後の教室で机にイニシャルを彫る彼に

自分の思い出を後輩たちに押し付けないで、と

心でつぶやく彼女。

離れても電話するよと小指を差し出して云う彼に、

守れない約束はしないほうがいい、ごめんね、と

なぜ彼女は云ったのでしょう。

自分の思い出を刻んだ机を、

それに座る後輩の心に押し付ける子供っぽさ。

そんなアナタが、学校という名の集合場所から

解き放たれた後に、

想い出だけで人をつなぎとめる強力な力を

持ちえるはずがない、そう推察したから。

その一方で、彼女は幼さを残したまま、

スカーフで止まった時間を結びたいと思う。

好きな彼に、あまりにもささいなことで

やきもちをやいてみたり。

半分子供で半分がオトナ。

クールに、卒業式で泣かないと

冷たい人だと云われそう、と自分を客観視する。

幼さを残しつつ、彼女は

大人になり始めようとしている。

こころのウツワの許容量を増やし

潮騒の響きに息を潜めながら

好きだった彼より、ほんの少し先、

階段を何段か駆け上がってみせた。

この楽曲は1985年2月21日にリリース。

にもかかわらず、今なお

若い世代に受け継がれているという。

センチメンタルな雰囲気に酔うだけでは終わらない、

自分達のピリオドに対して

冷静な客観性を持ち始めた彼ら彼女達が

この楽曲を指示したことに

拍手したい気分です。